若手の力で、前人未到のベンゼン分子誕生

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  • 2015/04/08
  • WPI-ITbM
  • 理学研究科
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  • 鈴木真さん(大学院生)
  • 山口潤一郎准教授
  • 伊丹健一郎教授

名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)、名古屋大学大学院理学研究科、JST戦略的創造研究推進事業ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクトの伊丹健一郎教授、山口潤一郎准教授、鈴木真さん(大学院生)、瀬川泰知特任准教授は、多置換ベンゼンを意のままにつくる新しい合成法(プログラム合成)を開発しました。これにより、置換ベンゼンを選択的に合成することが可能となり、化学の発展を支える最重要課題の一つでありながらも長年未解決であった「多置換ベンゼン問題」に一つの解を与えることになりました。
本研究成果は、2015年1月26日(日本時間)に英国Nature Chemistry誌のオンライン版で公開されました。→ 名古屋大学プレスリリース

ファラデーによるベンゼンの発見から190年、 ケクレによる亀の甲構造の提案から150年。 記念すべき2015年、「多置換ベンゼン問題」に解を見出す。

「考えられる分子は、何でも作りたい。」

名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)の拠点長およびJST戦略的創造研究推進事業ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクトの研究総括も務める、名古屋大学大学院理学研究科の伊丹健一郎教授は、合成化学の決定版とも言うべき、「プログラム合成法」の提唱者である。

「プログラム合成法」とは、ある合成スキームに基づけば、分子の構造多様性を意のままに作り分けることができる、というもの。分子は、置換基の様々な組み合わせから「構造異性体」を形成するが、ある一つの異性体を作ることを目的にするのではなく、一つの合成方法で異性体全てを作り分けることができるように、プログラム化することを目的とする。

伊丹教授らは、これまでも多置換アルケン、多置換チオフェン、多置換チアゾールといった多置換有機分子のプログラム合成法を確立してきた(図1)。


図1. これまでに確立されてきた多置換有機分子のプログラム合成法。(図:Suzuki et al. Nature Chemistry (2015) 7: 227-33. Copyright © 2015, Rights Managed by Nature Publishing Group


しかし、多置換ベンゼンを意のままに作り分けることは、莫大な置換基の組み合わせが存在すること(参照:バーンサイドの定理)や合成化学技術の未熟さのために、未解決のままだった。

ーーー バーンサイドの定理 ーーー

n種類の置換基の組み合わせから考えられる置換ベンゼンの分子数N

多置換ベンゼンの構造多様性の数は、有機分子の中でも突出している。
理論上、10種類の置換基の組み合わせからは8万以上、
50種類の置換基の組み合わせからは13億以上の
多置換ベンゼンが原理的に生成可能。

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今回、そんな長年未解決だった「多置換ベンゼン問題」に挑戦したのは、名古屋大学大学院理学研究科 博士前期課程2年(現在、博士後期課程1年)の鈴木真さん。

鈴木さんは、伊丹教授および同研究グループの山口潤一郎准教授の下で学びながらも、研究者として、世界で初めて、完全非対称な5つ及び6つの異なる置換基をもつベンゼンの単離に成功したのである。

「前人未到の分子」開発、つまり、物性への新知見を得て、伊丹教授率いる研究グループが益々勢いをつける。

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「亀の甲」としても親しまれるベンゼン。

構造の美しさは然ることながら、ベンゼンは、医農薬、香料、染料、プラスチック、液晶、エレクトロニクス材料に最もよく用いられる分子である。ベンゼン環にどのような置換基が、どのように配置されるか、により化学的、物理的な性質が大きく変わるところも興味深い(話題提供:ヘキサベンゾコロネン)。

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そんな魅力的なベンゼンだが、並外れた構造多様性からも見受けられるように、多置換ベンゼンを意のままに作り分けることは難しく、化学業界の長年の課題であった。

伊丹教授らは、ベンゼンの前駆体へ置換基を導入することも考えるが、上手く行かず、結局手つかずのままとなっていた。

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2012年3月の終わり、

「しかし、チオフェン(5員環)をCHアリール化するのは、比較的簡単なので・・」

元々、天然物合成や医薬品合成の短工程化を得意としてきた同研究グループの山口准教授は、5員環の環を壊して6員環にする合成技術にヒントを得ていた。そして、ベンゼン(6員環)にアリール基(芳香族置換基)を付けることは難しくても、伊丹教授らの多置換チオフェン(5員環)のプログラム合成後にアルキンを反応させれば、5置換および6置換ベンゼンが作れることを提案(図2)し、多置換ベンゼン問題に着手し出したのである。


図2. 提案された多置換ベンゼンのプログラム合成法。(図は、説明資料として山口准教授より提供


「かっこいい分子を作らないか?」

多置換ベンゼンという「前人未到の化合物」作りに向けて、山口准教授は、当時、理学部4年生だった鈴木さんに多置換ベンゼン研究を説明した。平面構造のベンゼンは、置換基が付くことで立体なプロペラ構造になることの美しさにも触れながら、(鈴木さんの性格も理解の上で)彼の心を掴んだ、と話す。

「なんか分からないけど、かっこいいな。」

好奇心のままに研究に取り組んだ鈴木さん。まずは、伊丹教授らのテトラアリールチオフェンのプログラム合成法に基づき、市販の3-メトキシチオフェンを出発原料に用いて、C-Hカップリングや鈴木-宮浦カップリングなどを順次行うことによって、結合選択的に4箇所にアリール基を導入した(図3)。最初は上手く行かずとも、合成に最適なパラメータを探り当てながら、50倍は多く作れるようになっていった。


図3. テトラアリールチオフェンのプログラム合成法。(図は、説明資料として山口准教授より提供


学部4年生の終わりには、このテトラアリールチオフェンを酸化させたのち、対称構造を持つジアリールアセチレンを作用させ、5種の異なる置換基をもつ6置換ベンゼンを作成することに成功した(図4)。多置換チオフェンとジアリールアセチレンの付加還化反応が進行すると、チオフェン環の硫黄原子が一酸化硫黄として脱離すると同時に、ベンゼン環が構築されるのである。


図4. 5種の異なる置換基をもつ、ヘキサアリールベンゼンの作成に成功。(図は、説明資料として山口准教授より提供


その後、鈴木さんは、非対称のジアリールアセチレンを用いて、同様の方法で全ての置換基が異なる6置換ベンゼンの作製に取り掛かった。

だが、得られた6置換ベンゼンは2種類が混じった状態にあり(図5)、困難なことに、薄層クロマトグラフィー(TLC)を始め、どんな方法を用いても、これらを区別することができない。


図5. 2種類の6置換ベンゼンが作られたが、単離することが出来なかった。(図:Suzuki et al. Nature Chemistry (2015) 7: 227-33. Copyright © 2015, Rights Managed by Nature Publishing Group


試行錯誤で頑張るにも上手く行かない日々は続き、「その頃、正直、研究が面白くなかった」と鈴木さんは話す。その間、就職活動にも励んだ鈴木さんだが、「就職活動を通して、自分を振り返ることが出来た」と、研究へのピュアな想いに気付き始めた。

「このときぐらいから、鈴木さんは変わってきた。」

鈴木さんを指導する山口准教授は、鈴木さんが、先生から与えられた研究テーマをこなすのではなく、自分で考えて研究に取り組むようになり、まさに研究者らしくなってきた、と話す。

鈴木さんは、自らのひらめきのままに、混在する6置換ベンゼンに再結晶法を試み、終に、2種類の6置換ベンゼンの1種類だけを先に結晶化することで、2種を区別していったのである。

「X線を取った時に、結晶構造がパっと出たときは、びっくり、感動しました。」

鈴木さんは、X線解析で結晶の分子構造を確認する際、同研究グループの瀬川泰知特任准教授にも相談した。そして、多置換ベンゼンの1箇所を特別に大きいベンゼンに置換することで、より区別しやすい分子を設計のもと作成し、TLCを使っても単離できるようにしていったのである(図6)。


図6. 多置換ベンゼンの1箇所のみ特別に大きいベンゼンに置換し、容易に単離できるようになった。X線解析により得られた結晶構造と鈴木さん@研究室。図:Suzuki et al. Nature Chemistry (2015) 7: 227-33. Copyright © 2015, Rights Managed by Nature Publishing Group


鈴木さんは、この「新分子開発」ゆえに明らかになった「物性の新知見」を得た他、今回の多置換ベンゼンの合成技術を元にしたプログラム合成法で、多置換ナフタレンや多置換ピリジンの作製へと応用例も見せている(図7)。


図7. このプログラム合成法で、多置換ナフタレンや多置換ピリジンへの応用も可能。図:Suzuki et al. Nature Chemistry (2015) 7: 227-33. Copyright © 2015, Rights Managed by Nature Publishing Group


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「この新しい分子が、将来何の役に立つかは全然分かりません。」

山口准教授は、今回の新分子が、ただの「ゴミ」になってしまうかもしれない、と話す。しかし、ノーベル化学賞に輝く下村脩教授の光るタンパク質(GFP)も、もともとは仕組み解明という基礎研究から生み出された成果であり、それが生命科学分野で応用展開していったことを思うと、今回の新分子の「トランスフォーマティブ」な展開を楽しみに思うばかりだ。

更には、今回の研究成果は、若手研究者のピュアな研究心に影響を与えた・・

「もっと自分の分子を作りたい。」

実は、就職が決まっていた鈴木さんだが、研究を通して得られた感動が忘れられず、「前人未到の分子を作りたい」と博士後期課程への進学を決意した。現在、研究テーマを自分で決めて、勢いよく取り組んでいる真っ只中である。

若手の「ピュア」な探究心と向上心こそがエネルギー

―今までにないものが生み出されていく。

(梅村綾子)

研究者紹介

左から、山口潤一郎准教授、鈴木真さん、伊丹健一郎教授

伊丹 健一郎いたみ けんいちろう)氏【名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM) 教授

1994年京都大学工学部合成化学科を卒業後、1998年同大学院工学研究科合成・生物化学専攻博士課程を修了し、京都大学より工学博士の学位取得。1998年同大学院同研究科助手、2005年名古屋大学物質科学国際研究センター助教授を務め、同年、科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業で、さきがけ研究員となり「構造制御と機能」領域で活躍する。2007年名古屋大学物質科学国際研究センター准教授、2008年より名古屋大学大学院理学研究科物質理学専攻化学系 教授、2013年より名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長および科学技術推進機構 戦略的創造研究推進事業 ERATO伊丹ナノカーボンプロジェクト研究総括となり、現在に至る。

2012年 Fellow of the Royal Society of Chemistry, UK;
2013年 Mukaiyama award;
2013年 Novartis Chemistry Lectureship Award;
2014年 The JSPS Prize;
2015年 アメリカ化学会賞; その他多数。


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ベンゼンは伊丹氏が一番好きな分子だというのもあって、教授室には、おしゃれな六角形デザインのオブジェが飾られていた。
そんなアートな空間で、とても明るく研究の面白さを伝えてくれた伊丹氏。脳をオープンにして頂き、刺激だらけのインタビューを楽しませて頂いた。これからのご活躍も益々期待したい(梅)



山口 潤一郎(やまぐち じゅんいちろう)氏【名古屋大学大学院 理学研究科 准教授

2002年東京理科大学工学部工業化学科を卒業。2004年日本学術振興会 特別研究員(DC1)となり、2005年スクリプス研究所化学科での留学を経て、2007年東京理科大学大学院工学研究科工業化学専攻博士課程を修了した。2007年日本学術振興会 海外特別研究員(PD)として、スクリプス研究所化学科博士研究員、2008年名古屋大学大学院理学研究科物質理学専攻化学系助教を経て、2012年より現職。2012年8月~9月ドイツミュンスター大学客員准教授、2013年より名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所で連携研究者となり、今に至る。

2013年 ITbM Research Award;
2013年 Banyu Chemist Award (BCA) 2013;
2014年 Thieme Chemistry Journal Award;
2014年 Asian Core Lectureship Award, China;
2014年 Asian Core Lectureship Award, Thailand; その他多数。

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「前人未到」という言葉が大好きという山口氏。それに向かって全力を尽くす山口氏は、若者のお手本そのものだと感じた。
山口氏率いる研究グループのポジティブな行動力ある空間は、素晴らしい研究成果を生み出し続けるのだろう。これからのご活躍にも期待したい(梅)



鈴木 真(すずき しん)氏【当時:名古屋大学大学院 理学研究科 修士課程学生

2013年名古屋大学理学部化学科卒業。同年、同大学院理学研究科物質理学専攻(化学系)博士前期課程に入学。2015年同大学同研究科博士前期課程を修了(理学修士)し、博士後期課程へ進学、現在に至る。

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研究が上手く行かなかった期間があったからこそ、研究への魅力に気づいたという鈴木氏。「ラッキーな展開」だと話してくれたが、鈴木氏がポジティブに物事を考え、一生懸命進める、その実力にあると感じた。
研究への調子を掴んだという鈴木氏。これからのご研究成果も益々楽しみだ(梅)

情報リンク集

Shin Suzuki,Yasutomo Segawa, Kenichiro Itami & Junichiro Yamaguchi.

Synthesis and characterization of hexaarylbenzenes with five or six different substituents enabled by programmed synthesis.
Nature Chemistry 7: 227 (2015).

(First published on January 26, 2015; doi:10.1038/nchem.2174)

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