岡崎フラグメントとノーベル賞

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  • 2017/10/18

国際機構

辻篤子特任教授(「名大ウォッチ」より転載)

 一連のノーベル賞の発表が終わった。2年続けて女性の受賞がなかったことから、物理学賞、化学賞、経済学賞の選考を担うスウェーデン王立科学アカデミーの事務局長は経済学賞発表後の記者会見で、来年以降の推薦依頼にあたっては、女性科学者を推薦するよう求めたいと話した。実際、ノーベル賞は1901年から今年までに923の個人・団体に贈られているが、女性受賞者は48人だけだ。科学関係の3賞ではさらにその数は限られ、最も多い医学・生理学賞でも214人中12人、化学賞は178人中4人、物理学賞は207人中2人にとどまる。マリー・キュリーが物理学賞と化学賞を受賞しているため、科学関係での女性受賞者は17人となる。受賞者の中でわずかに3%を占めるに過ぎない。
 米国化学会の年会では昨年来、ノーベル賞の女性受賞者の少なさが議論になっているという。今年のノーベル賞発表を前にした9月、学会での議論をもとにした「ノーベル賞で見過ごされた女性たち」と題する記事が機関誌「C&EN」に掲載された。その中で、受賞すべきだったとして名前の挙がった13人の女性化学者が紹介されている。1953年にDNAの二重らせん構造が解明されるのに決定的な役割を果たしたロザリンド・フランクリンの名前もある。彼女は推薦されることもないまま、58年にがんのために亡くなった。この業績でワトソンらがノーベル賞を受賞したのはその4年後の62年だ。また、核分裂の発見でノーベル化学賞を受賞したオットー・ハーンの共同研究者だったリーゼ・マイトナーについては、受賞すべき女性化学者リストのトップクラスに来るべきだとのコメントが添えられている。
 結晶構造の決定に関する業績で85年の化学賞を受賞したジェローム・カールの妻イザベラの名も挙がっている。受賞の知らせを受けた夫はすぐに、妻も共同受賞かどうかを尋ねたという。しかし、受賞者の中に妻の名はなく、別の研究者と2人での共同受賞だった。最近のインタビューでイザベラは「私たちは一緒に、またそれぞれで研究した」と語ったそうだ。互いに助け合いながら大きな業績を上げた多くの科学者カップルが同様の状況にあるとのコメントも添えられている。
 これを読んで頭に浮かんだのが、高校の生物学教科書でもおなじみの「岡崎フラグメント」の発見者として名高い名古屋大学の岡崎令治博士と妻の恒子博士の科学者カップルだ。広島で被爆した令治博士は白血病のため、75年に44歳の若さで他界したが、存命ならノーベル賞を受賞したはずと惜しむ声も多かった。もしそうなったら、「妻は?」と尋ねただろうか。


岡崎恒子特別教授。2016年12月の岡崎フラグメント50周年を記念する額とともに。


 恒子さんは現在、名大特別教授の称号を持ち、この9月、「名古屋大学レクチャー2017」で「私のたどった研究の道--DNAの不連続複製機構からヒト染色体構築まで」と題して講演した。
 岡崎フラグメントとは、 DNAの二重らせんがほどけて複製ができる際の小さな断片をさす。1953年にワトソンとクリックが発表したDNAの二重らせんモデルによれば、DNAの2本の鎖は「AとT」「GとC」といったように相補的な関係にあり、もとの鎖を鋳型にして新しい鎖が作られることで複製される。ちょうどファスナーを開けていくように2本の鎖がほどけ、それぞれ新しい鎖が作られていく。当時の科学者たちを悩ませたのは、この鎖にはそれぞれ向きがあり、片方の向きの複製を作る酵素は見つかったのに、もう一方ではその酵素が見つからないことだった。そちらの向きの鎖の複製をどうやって作るのか。
 岡崎さんたちの仮説は、すでにある酵素を活用してまず短い鎖を作り、それをつなげることで全体として逆向きの複製を作る、というものだった。それを実験で実証するのはもっぱら恒子さんの仕事だった。68年に米国の学会で報告すると、年来の難題が解決されたと大喝采を浴び、この短い鎖のDNAはのちに岡崎フラグメントと呼ばれるようになる。分子生物学の黎明期に、DNA複製という生命の根源に関わる仕組みを明らかにした画期的な業績である。講演会で恒子さんを紹介した町田泰則名誉教授は「純粋に日本で生み出された世界最先端の知的財産」と讃えた。>>「名大ウォッチ」で続きを読む。


辻篤子(つじ あつこ):1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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