原子核乾板という名のフィルムの復権

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  • 2017/11/28

国際機構

辻篤子特任教授(「名大ウォッチ」より転載)

 ピラミッドの中に大きな空間を発見したという名古屋大学の研究発表は、世界的な大ニュースとなり、耳目を集めた。その話をさらに聞くうち、ピラミッドに負けず劣らず興味をそそられたのは、発見に使われた原子核乾板をめぐる過去から未来に至るストーリーである。原子核乾板といっても、今や薄いプラスチックの、いってみれば写真のフィルムである。研究の世界では、カミオカンデに代表されるような、とらえた信号を電気に変換してリアルタイムで検出するデジタルのシステムが主流となり、原子核乾板は使われなくなっている。デジカメ全盛時代のアナログのフィルムカメラのようなものだが、そんな時代遅れとも見える技術が大ヒットを飛ばしたのである。実はピラミッドではデジタルのライバルもいたが、電源は不要でしかも小さな空間にも置ける長所を持つ、いわばローテクが先んじる結果になった。

 なぜ原子核乾板にこだわるのか。銀塩フィルムの写真に深い味わいがあるように、原子核乾板には解像度が高い、つまりより細かく見られるという圧倒的な強みがあるからだという。原子核乾板とともに歩み、ノーベル賞を受賞した小林・益川理論の誕生にもつながった名大の素粒子研究の伝統もある。フィルムメーカーが生産をやめてしまっても、研究室でその技術を学んで工夫を重ね、フィルムの読み取り装置も含めて世界に例のない最先端システムを作り上げた。なかなか許可が出ないピラミッド内部の調査が許されたゆえんだ。

 そして今、構造物の内部を見る手段として、フィルムメーカーが改めて注目しているという。事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所の原子炉や火山の内部を見た実績もある。期待されるのはたとえば、トンネルや橋などさまざまな土木構造物の非破壊検査だ。実現すれば、こうした構造物の劣化が懸念されるなか、大きなビジネスになる可能性があるのだ。


空洞が見つかったクフ王のピラミッド


 まず、どうやってピラミッドの中を見るのか。

 簡単に言えば、「宇宙線を用いたレントゲン写真」と、この研究のリーダーである名大理学研究科の森島邦博特任助教は言う。宇宙から降ってくる宇宙線の中のミューオンという粒子は、レントゲンに使われるX線に比べてもはるかに高い透過力を持ち、エネルギーが高いほど分厚い物質を通り抜けることができる。見たい物体の下に原子核乾板、すなわち写真フィルムを置き、通過してきたミューオンで「感光」させる。フィルムを現像してその像を解析すれば、ミューオンをさえぎる物質がどのように分布しているかがわかる、というわけだ。
 原子核乾板では、0.2ミクロン(1ミクロンは1000の1ミリ)という極めて高い解像度が得られる。デジカメでおなじみのCCD(電荷結合素子)は光を受けて電気信号に変える。素子を小さくして詰め込んだ方が解像度は上がるが、小さいと感度が下がる。そのバランスから、解像度は原子核乾板の10分の1程度だ。
 さらに、臭化銀の乳剤を塗ったフィルムの感光層には数十〜数百μの厚みがあり、その中を粒子が通過していった軌跡を立体的に見ることもできる。CCDはもちろん、平面でしか見えない普通の写真とも大きく異なる利点だ。「銀塩フィルムという古い技術ですが、これ以上よく見えるものはありませんから」と森島さんはこだわりの理由を明快に語る。


フィルム状の原子核乾板を手にする森島邦博特任助教


 原子核乾板を使った名大の研究の歴史は半世紀を超える。>>「名大ウォッチ」で続きを読む。


辻篤子(つじ あつこ):1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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