人類進化史を更新―石器に見る「技術革新」にヒント―

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  • 2015/06/10
  • 名古屋大学博物館
  • 環境学研究科
  • 門脇誠二助教

名古屋大学博物館・大学院環境学研究科の門脇誠二助教と東京大学総合研究博物館の研究グループらが、「ホモ・サピエンスの起源や旧人ネアンデルタールの絶滅」に関する通説を見直す研究結果を発表しました。本研究において、門脇助教らは、アフリカからヨーロッパへ分布域を広げた当初のホモ・サピエンス集団は、石器技術という点において、旧人と大きな隔たりがなかった可能性を示唆しました。また、ホモ・サピエンスと旧人の交替劇において、ヨーロッパにおける両者の共存期間が数千年におよぶという最近の年代学研究や、両者の間に文化交流や交雑が一部生じていたという考古学・遺伝学研究にも同調し、人類進化史の更新に寄与することが期待されます。
本研究成果は、エルゼビア社(オランダ)の科学誌Journal of Human Evolutionにて, 2015年4月25日に公開されました。→リンク:全学プレスリリース

人類進化史に新事実、提唱。 ズバリな石器の鑑識と高精度な放射性炭素年代測定で見直しを図る。

名古屋大学博物館、及び大学院環境学研究科の門脇誠二助教の研究グループは、獲物を遠距離から射止める狩猟技術の起源論争に一石を投じた:

・・従来、投げ槍や弓矢などの投擲具は、アフリカや西アジア(中近東)にいたホモ・サピエンス集団が開発した技術と考えられていた。そして、この革新的技術を携えたホモ・サピエンス集団の一部が4万2千年ほど前にヨーロッパへ拡散したことが、後のネアンデルタール人絶滅の一因になったという説が提案されてきた・・

これは、投射狩猟具の先端に装着されたと考えられている小型尖頭器(石器)がヨーロッパよりも西アジアで先に出現した、という年代測定結果が得られていたためである。


この時代の遺跡の年代測定には、放射性炭素年代が広く用いられている。遺跡から発掘される植物や骨の有機物に含まれる放射性炭素の割合と、その一定の壊変速度(放射性同位体である炭素14が壊変する速度)に基づいて、生物が死亡した年代を決める。


しかしながら、より古い前処理法や測定方法によって決定された年代は、「コンタミ(異物混入)」の影響を受けていたり、測定年代の誤差が大きいという問題点がある。1950年代以降普及し始めた年代測定は、その測定方法や資料の前処理法などの技術が改善され続けており、つまりは、放射性炭素によって測定された年代を全て同等に比べることはできないのだ。


「年代測定技術が進歩するのに伴って、過去の考古記録をアップデートしていく必要がある。」

門脇助教は、最新の年代測定結果を重視しながら、小型尖頭器(石器)の形態や製作技術の時間的・地理的分布パターンを把握する研究を行い、その結果から人類進化史の新事実を提唱する。


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研究内容詳細に入る前に、まずは、図1を見ながら、人類進化史の700万年を遡ってみよう:



図1.人類進化史700万年(図は、説明資料として門脇助教より提供

およそ700万年前のアフリカで、人類の祖先集団は、チンパンジーと同じ祖先から進化の枝分かれをした。猿人の誕生である。その後250万年前以降、二つの異なる系統、パラントロプス属とホモ属が現れた。パラントロプス属は絶滅し、一方、ホモ属は生き延びて原人となり、アフリカからアジアへ出て行った(出アフリカ)。グルジア(現・ジョージア)では約180万年前の原人の遺跡が見つかっているが、良く知られるジャワ原人や北京原人の名前からも伺い知れるように、原人は、より東方へ分布を広げていった。その後、アフリカをはじめ、色々なところで、原人は旧人へ進化していく。世界各地には旧人が居住していたことになるが、特にヨーロッパで誕生した旧人がネアンデルタール人である。一方、アフリカにいた旧人の一部は新人のホモ・サピエンスへと進化する。その後、ホモ・サピエンスはアフリカを出て、各地に分布を広げていった。

―特に今回焦点としたいのは、ホモ・サピエンスの拡散先に既に居住していたネアンデルタール人などの旧人は人口を減らし、やがて集団として消滅したのに対し、ホモ・サピエンスは人口増加と分布拡大を続け、現在の私たち人類に至ったという命運の差である。



「私が専門にする先史考古学は、文字のない時代の人間の行動、文化、生活、そしてできれば考え方について遺跡の記録から調べます。」

門脇助教は、ホモ・サピエンスがアフリカで誕生してから分布域を広げていく過程で、文化や技術の革新が「いつ・どこで」生じたのか、という点を明らかにする研究を行っている。その重要な手掛かりは、数万年の時を超えても良好に保存される遺物「石器」だ。


特に、ホモ・サピエンスの地理分布拡大の謎に迫る門脇助教は、ホモ・サピエンスのヨーロッパ開拓の通説を見直すべく、ホモ・サピエンスがアフリカからヨーロッパへ拡散する経路上である西アジアのレヴァント地方(図2)を調査地としてきた(2008年~2011年)。



図2.東部地中海沿岸の「レヴァント地方」(赤輪の部分)



従来説(図3)では、投げ槍などの投擲具に用いられたであろう小型尖頭器(石器)の技術は、レヴァント地方で先に生じ(前期アハマリアン文化)、その技術を携えたホモ・サピエンスの一部が約4万2千年前に分布拡大したことによって、ヨーロッパに小型尖頭器の技術が伝えられた(プロト・オーリナシアン文化)、と考えられていた。

この考えに基づき、レヴァントで創出された革新的技術がヨーロッパ入植におけるサピエンス集団の適応力を高め、人口増加に至り、一方でネアンデルタール人の絶滅を招いていった、という人類進化のシナリオが通説となったわけだ。



図3.従来説では、前期アハマリアン文化の小型尖頭器(石器)技術がプロト・オーリナシアン文化へ伝えられた、と考えられていた。(図は、説明資料として門脇助教より提供



しかし、門脇助教らは気付いた・・

西アジアの前期アハマリアン文化とヨーロッパのプロト・オーリナシアン文化では、尖頭器の形態やサイズにおいて、製作技術の異なる伝統が含まれているにも関わらず、従来説では、それを全てまとめて「似ている」としている。

その理由として、重要な小型尖頭器の出現年代が、西アジアとヨーロッパのあいだで正確に比べられていなかったのだ。


門脇助教らは、シリア北方のラッカ市から東方へ約50kmの地域でフィールド調査を行い、ユーフラテス河支流のワディ・ハラールという小渓谷の左岸に位置する遺跡(ワディ・ハラール16R遺跡・図4)を発掘調査した。



図4.ワディ・ハラール16R遺跡の場所と遺跡遠景。ユーフラテス河の支流ワディ・ハラールの西岸に遺跡が立地する。2つの石器集中部が2011年春に発掘調査された。(図:Kadowaki, et al. Journal of Human Revolution (2015) 82: 67-87. Copyright © 2015, Rights Managed by Elsevier、写真:説明資料として門脇助教より提供)



そして、今回、研究のカギとなる小型尖頭器を含む1000点以上の石器標本を採集し(図5)、前期アハマリアン文化のこの遺跡が約3万8~7千年前に残されたことを示す放射性炭素年代を得ることに成功したのである。




図5.今回採集された石器と石器のスケッチ図。スケッチの"→"は、石器製作の際、石と石を打ちつけた箇所を表す。波紋の広がり方から分かる。(写真:説明資料として門脇助教より提供、図:Kadowaki, et al. Journal of Human Revolution (2015) 82: 67-87. Copyright © 2015, Rights Managed by Elsevier



また、前期アハマリアン文化の遺跡に対してこれまで報告されていた放射性炭素年代(68点)をプロト・オーリナシアン文化に対する年代(58点)と詳細に比較した。その結果、前期アハマリアン文化を特徴づける小型尖頭器がレヴァント地方で広く用いられたのが約3万9~4千年前であるのに対し、プロト・オーリナシアン文化の小型尖頭器は約4万2千年前~3万9千年前という推定が行われた。つまり、プロト・オーリナシアン文化の方が古い可能性を示したのだ(図6)。




図6.南レヴァント地方の前期アハマリアン文化は、ヨーロッパのプロト・オーリナシアン文化より新しいことが分かった。(図は、説明資料として門脇助教より提供)



「4万2千年ほど前にレヴァントからヨーロッパへ石器技術が拡散したという通説の根拠は極めて薄いことが分かりました。」

プロト・オーリナシアン文化の起源がレヴァント地方に求められないとすれば、その起源は一体どこなのだろうか? 門脇助教らは、その答えとして、プロト・オーリナシアン文化以前に既にヨーロッパに拡散していたホモ・サピエンス集団が、この文化を創出した可能性を指摘する。


実際、プロト・オーリナシアン文化以前にヨーロッパへホモ・サピエンスが既に分布拡大していたことを示唆する証拠が最近増加しつつある。イタリアのカヴァロ洞窟で発見された歯(4万5~3千年前)やオーストリアのヴィレンドルフII遺跡における前期オーリナシアン文化の石器(4万3500年前)などである。これらの遺跡から発見されている石器の形態や製作技術が西アジアから伝わったという証拠はない。


このことと、今回の研究結果を合わせると、ホモ・サピエンス集団がヨーロッパへ拡散した時、投射狩猟具などの革新的技術を最初から携えていたというシナリオの根拠は薄弱になる。つまり、ホモ・サピエンスはヨーロッパへ分布域を広げた後になって、プロト・オーリナシアン文化の小型尖頭器などの技術革新を遂げたと考えることができるだろう。


石器技術という点において、ヨーロッパに最初に入植したホモ・サピエンス集団は、移住先のネアンデルタール人とのあいだに、「私たちがこれまで考えていたほどの」大きな隔たりはなかったと言えるかもしれない。


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「私たちホモ・サピエンスの祖先と旧人のあいだで、なぜ異なる進化上の運命が生じたのか?」

門脇助教は、繰り返し投げかける。


考えれば考えるほど謎は深まるばかりだが、門脇助教のような考古学者による石器標本の識別、そして、高精度な年代測定技術の進歩で、それは少しずつ明らかになっていく。色んな分野のエキスパートが絡み挑む、学際的な面も非常に面白い。


さて、私たちはホモ・サピエンスだが・・

アフリカ以外の人間のDNAのうち、2%程はネアンデルタール由来だそうだ。つまり混血があった。

―国境という際(きわ)を超えて、「人類、皆兄弟」という言葉がふと頭に浮かんだ。

(梅村綾子)


研究者紹介

門脇 誠二(かどわき せいじ)氏【名古屋大学博物館・大学院環境学研究科 助教


1997年東京大学文学部 歴史文化学科を卒業後、1999年同大大学院人文社会科学研究科にて修士号(文学)を取得。その後、2002年にThe University of Tulsa (USA)Department of AnthropologyM.A.を取得。2007年にはUniversity of Toronto (Canada)Department of AnthropologyからPh.D.を取得した。2007年~2008年、Social Sciences and Humanities Research Council of Canadaで博士研究員を務め、その後2008年~2009年日本学術振興会・特別研究員SPD として活動する。2009年~2010年東京大学総合研究博物館・特任助教を経て、2010年より現職。


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年1回は中近東まで発掘調査に出掛け、4週間くらい日夜調査を「楽しんでいる」という門脇氏。発掘現場で「新しく発見できることの喜びは何にも変えられない」と臨場感溢れるままにお話頂いた。
そして、取材中は、こんな実演まで(写真→)。私も、門脇氏に教えて頂きながら、石器作りに初挑戦。「ここを叩けばこんな形が作れる」と物理的発想がまた非常に楽しかった。と同時に、数万年前の私たちの祖先の魂が宿る想い―人類史がもっと色々分かってきますように、門脇氏の今後益々のご活躍に期待したい(梅)



情報リンク集

Seiji Kadowaki, Takayuki Omori, and Yoshihiro Nishiaki

Variability in Early Ahmarian lithic technology and its implications for the model of a Levantine origin of the Protoaurignacian.

Journal of Human Evolution 82: 67-87 (2015).

(First published on April 25, 2015; doi: 10.1016/j.jhevol.2015.02.017)

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